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アントニオ猪木さん逝去

残念。

ついにこの日がという思いである。以前からテレビ登場時は鼻からチューブの激やせ姿だったし難病というのも公表されていた。

ブラジルコーヒー農場から始まる猪木さんの人生は有名だ。その後力道山にスカウトされて日本プロレスに入り、絶大な人気を誇ったジャイアント馬場さんとタッグを組むも一番になるために飛び出した。

プロレスのイノベーター

1972年「新日本プロレス」を旗揚げ、数年後にそれまでの正当なプロレス興行から一線を画した伝説の「異種格闘技」が始まった。柔道ミュンヘン五輪金メダリストのウイリアム・ルスカ、ご存知世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ。賛否は分かれたがプロレス界、その後の格闘技界に与えた影響は大きかった。

私の世代で言えば直接猪木さんではないが、ドラゴンこと藤波辰爾選手。当時住んでいた地方都市であちこちに海外で評判の高かった藤波辰爾の凱旋マッチのポスターが貼られていたことを思い出す。

そして極めつけがタイガー・マスクの登場だった。タイガーマスク新シリーズアニメとのタイアップではじまったそうだが、アニメは覚えていないけどダイナマイト・キッドとの華麗な技の応酬が鮮明に記憶に残っている。すごかったな。

その後は議員になってスポーツ平和党を立ち上げたり、北朝鮮へ単身乗り込んだり、故春一番さんの物まね、気合ビンタとかいろいろ思い出深い人だった。

猪木さんは難病の「全身性アミロイドーシス」が原因で亡くなった。認知症関連の仕事をしているからアミロイドベータたん白を知っていたが、もちろんそれと同じものではないのだろうが臓器にも沈着して悪さを起こすとは。

最期まで強かった猪木さん。合掌

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