名古屋のソウルファストフードといえば「寿がきや」
私の時間は止まっていたが、ラーメンは進化を続けていた
久しぶりに名古屋へ行ってきました。
岐阜、名古屋で生まれ育った私にとっては故郷の地。もちろん親戚もいるので関西に来てからも何度か足は運んでいます。
でも関西定住が長くなり齢もとると機会は減りました。しかも名古屋駅に行くなんてめったにありません。今回なんと昼過ぎまでに終えるお仕事を頂戴したので、午後から久しぶりの名古屋駅周辺を徘徊してきました。
人だらけの名古屋駅前
土曜日の名古屋、あれれ!とても人が多いですよ。昔は地下都市と言われるほど地下街が発達していて、地上に人が見当たらないとイジられていました。
すでに13時前、早起きしてるし腹も減りました。想像以上に人出が多く、あそこなら空いてるかな?と一昔前の人が少ないイメージで「エスカ新幹線地下街」へと向かいます。
テレビのご当地特集人気もあって名古屋グルメは人気です。王道はひつまむし、味噌煮込み、味噌カツ、台湾ラーメン、小倉あんトースト、きしめん、あれもこれもあげたらキリがありません。しかも台湾まぜそばを筆頭に新グルメも続々登場しています。
しかしエスカ地下街はどのお店も行列、行列!いつのまにかエスカ地下街は有名店だらけの地下街に変貌していたのです。しかも若い人が多いです。ジブリパークの影響でしょうか?コロコロを引く人も多かったです。
大行列に並ぶ気力はありません。そこでエスカの飲食店舗案内を改めて眺めてみます。すると懐かしい「寿がきや」の店名を通路の端っこに見つけました。愛知・岐阜・三重にお住まいでなければ中々なじみがないこのお店。
こちらで生れ育った私には小学生から親しんだ、なんならマックや吉野家よりも早く出会ったファストフード店なのです。しかも何故か行列もなくすぐ着席できました。およそ30年ぶりに入店、さてメニューはどうなっているのか?
すっかり変わっています。左ページの上左にある「白ラーメン」これが正に当時の寿がきやのオリジナルラーメンであり、メニュー構成もこのスープだけで「ラーメン」「肉入りラーメン」「特製ラーメン」だったような。
もちろん「白」というネーミングもありませんでした。この数十年にわたるラーメン戦争を勝ち抜くために味も改良しメニューも増えたんでしょうね。
店内でよく注文されていた「醤油ラーメン」(スープ真っ黒でした)も興味がありましたが、思い出の味なのでやはりここは「白」そして中学生の時によく食べた「肉入り」を注文。もういい歳なので残念ながらサイドメニューなしの単品です。
”和”が主張する豚骨スープ
目の前に置かれた丼をのぞくと、そこにはデカくて厚めのチャーシューが3切れ。昔は1枚がこの1/4くらいの大きさで5、6枚のっていました。
ではスープから。あ~、この香りです!白いスープなので一見豚骨かと思いきや、しっかり和風だしが香る寿がきやのラーメンスープ”和風とんこつ”です、見た目に反する”あっさり・さっぱり感”は変わっていません。
麺は四角いストレートで少しもちもち感あり、すべてが懐かしい味です。初めての新チャーシューはとろっとろでした。値段が当時の何倍にもなってましたが、あの頃の美味しさそのままでさらに進化していました。
半分くらい食べたところで写真にあるコショーをかけて味変です。当時はギャバンスパイスの大きなコショーが置いてあったと思いますが、いつのまにかオリジナルコショーが登場。
コショーの香りが、若い胃袋にラーメンを流し込んでいた当時をよみがえらせます。当時は肉入りラーメンでも200円台でしたからお小遣いの少ない中学生でも気軽に入ることができました。店舗のHP拝見しましたが、当時通っていたお店はまだあるみたいで感動です。
私が出会った頃の寿がきやはラーメン以外にソフトクリームをはじめとしたお値打ちな甘味処としてもメニューが充実していました。そもそも1946年(昭和21年)に甘党のお店として創業していたなごりだったんですね。ラーメンはその2年後1948年に登場。
いやいや、美味しかったし、何より懐かしかったです。誰と食べていたなとか、妹が寿がきやでバイトしていたなぁとか様々な思い出がよみがえってきます。
安くて美味くて、ショッピングセンターがあれば寿がきやもあるっていう印象でした。中部地方の多くの人が幼い頃から慣れ親しんだ味。まさにソウルファストフードです。
現在でも愛知・岐阜・三重にはたくさん店舗があって、静岡、滋賀、京都、大阪、兵庫にも出店しています。記念に先ほどのオリジナルコショーも1缶買いました(500円くらい)。
帰りにちょっと駅周辺を散策
実は学生時代に名古屋駅周辺の飲食店2軒でアルバイトをしていたことがあります。1軒は柳橋の市場近く。建物はそのままでお店が変わっていました。きっとこの何十年でいくつもお店は変わっているんでしょうけど。
もう1軒は知る人ぞ知る「大名古屋ビルヂング」(写真)の裏手にあったんですが。。な、なんと街ごとなくなって大きな工事フェンスに覆われていました。工事看板を見ると「中央新幹線新駅工事」。
詳しい経緯は知りませんが、リニアの駅を作るために周辺一帯が立ち退きになったんでしょうか。駅前の大きな一角が無くなるなんてびっくりしました。
でもこれだけの大都市が何十年も手付かずでいられるわけがありません。常に変化をしています。でもゆかりの建物は無くなっても”そこにあった”という記憶は残っています。ここでバイトしてたんだな、この通りもよく歩いたな。。なんてよみがえります。
機会があればみなさんもゆかりの土地、場所をいつか訪ねてみませんか?心地よい懐かしさが脳活になりますよ。
みなさんの思い出見つけたの投稿もお待ちしています。
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